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東京地方裁判所 昭和41年(ヨ)2257号 決定 1967年4月12日

債権者

村瀬敏雄

(外二四名)

右二五名訴訟代理人

草島万三

水上学

債務者

財団法人農林弘済会

右代表者

清井正

右訴訟代理人

和田良一

金山忠弘

大下慶郎

主文

本件仮処分申請を却下する。

申請費用は債権者らの負担とする。

理由

一当事者双方の求める裁判

債権者―「債務者は債権者らに対し別紙債権目録B欄記載の各金員及び昭和四一年五月一日以降、本案判決確定に至るまで毎月末日限り同目録A欄記載の各金員を仮に支払え」との決定

債務者―申請却下の決定

二当裁判所の判断

(一)  債務者と農林弘済会印刷部設立事務所ないし弘済印刷株式会社との関係

1  債務者が農林水産業に関する図書、印刷物の印刷及び刊行、頒布等の事業を行う財団法人であることは当事者間に争がなく、<証拠>によれば、右印刷関係の事業は主として農林省の発注する印刷物の印刷、製本を行うことであるが、そのうち謄写印刷の仕事は下請業者に発注、請負わせて完成、納入する業態であることが一応認められる。

2  <証拠>によれば、武智昭夫、島田清三、西村富雄及び芝崎雅臨の四名は、それぞれ、かねてから各別に謄写印刷業を営み、債務者の外注を請負つて、仕事をしていたものであるが、昭和四〇年七月頃互に出資し債務者の建物内に作業場の提供を受け債務者専属の下請業者となつて、謄写印刷の共同事業を営むべく、業務執行の分担を代表者兼経理担当芝崎、営業担当島田及び武智、進行担当西村と定め、将来、右事業をもつて法人組織とすることを約し、当面、右事業の名称を「農林弘済会印刷部設立事務所」とすることにしたこと、そして債務者は右武智ら四名を債務者専属の下請業者として、これに謄写印刷の事業を営ますべく、同人らとの間に当時「債務者は、その印刷工場内に武智らの作業場所を提供すること、武智らは右場所に機械設備を設け、必要な労働者を雇入れて、債務者が農林省各部局から注文を受けた謄写印刷の仕事を債務者から下請して完成すること、但し、他の注文主から謄写印刷を請負うことを妨げないこと、将来武智らが右事業目的達成のため法人を設立したときは、契約の相手方を、その法人に変更すること」という趣旨の契約を締結したことが一応認められ、右事実によれば、武智ら四名に共同して独自の謄写印刷事業を営み、債務者とは右営業の遂行上、請負関係に立つことがあるにすぎないものというべきである。

もつとも右各疎明方法によれば、債務者と右武智らとの右契約において、同人ら及びその雇人は債務者の定める服務規定に従うべく、また雇人の数は債務者と武智らとの協議によつて定めるとされたことが一応認められるが、右契約条項は単に武智らが、その営業活動上、債務者の事業場の一部を使用する関係から、債務者の事業場の規律に障害を来さないようにするため、制定されたものと推認するに難くないから、その存在の一事だけでは前示認定を左右するに足りない。

3  次に、<証拠>によれば、右武智ら四名は、その後右共同事業を目的とする組合の業務を執行し、予定のように「農林弘済会印刷部設立事務所」又は「株式会社農林弘済会印刷部設立事務所」なる名称のもとに、債務者と取引を継続するかたわら、株式会社設立の準備を進め、同年一二月二七日、弘済印刷株式会社を設立して右事業を株式会社に組織し、武智が代表取締役に選任されたことが一応認められる。

(二)  債務者らの雇入れ行為

1  <証拠>によれば、債権者(3)石山、(5)武隈、(7)望月、(8)荒木、(14)梅園、(16)和田、(17)梅野及び(21)野口は同年七月中、債権者(1)村瀬(2)鈴木、(9)元石、(10)山本、(11)渋木及び(19)吉田は同年九月頃までに、債権者(12)徳田、(15)富田、(20)伊東、(22)吉沢、(24)藤田及び(25)織田はおそくとも同年一一月二〇日までに、債権者(6)山崎、(13)小林、(18)伊藤及び(23)井上は早くても、昭和四一年一月以降に、また債権者(4)山崎は同月中、それぞれ武智らのいずれかに面接し、これとの間において期間を定めず、謄写印刷の労務に服する旨の雇傭契約を締結したことが一応認められる。

2  そこで、右雇入れ行為につき、債務者のためにする代理の成否を検討する。

(1) 債権者(4)山崎、(6)山崎、(13)小林、(18)伊藤及び(23)井上を除く、その余の債権者ら(以下甲群の債権者ともいう。)が右武智らによつて設立された弘済印刷株式会社の設立以前に同人らに雇入れられたものであることは右認定の事実から明らかであるところ、<証拠>によれば、右武智らは昭和四〇年七月一九日、八月二六日及び九月一五日の三回にわたり、読売新聞紙上に債務者の名義を用いて謄写印刷の従業員募集の広告をなし右債権者らの一部はこれに応募したものである、また雇入に当り、農林省庁舎の階下にあつて「農林弘済会」(債務者の名称)なる看板を掲げた一室で、右債権者らとそれぞれ面接し、「農林弘済会」の肩書を付した名刺を交付して、あたかも債務者が雇入れるものであるかのような表示行為に及んだことが一応認められる。

しかしながら、前記認定のように武智らが債務者とは下請業者としての専属契約を結び、しかも独立に謄写印刷業を営むにあたり、右債権者らを雇入れた事実に徴するときは、武智らは右債権者らと債務者との間に雇傭関係を発生させる意思があつたものとは認め難く、むしろ特別の事情がない限り、自分らとの間に雇傭を成立させる意思であつたものと認めるのが相当である。

もつとも、この点については疎明上、若干の説明を要する。すなわち、

(イ) 債務者職員名簿と思われる甲第一号証には右債権者らの氏名が記載されているが、それも謄写印刷KK農林弘済会印刷部所属として記載されているにすぎない。

(ロ) 債務者が当時、右債権者らの一部に債務者の従業員であることを証明する旨を記載した身分証明書を発行したことは当事者間に争がないが、<証拠>によれば、それは武智らが当時、いまだ、その共同事業につき会社の設立準備中であつたため、便宜、債務者に発行を仰いだにすぎないことが一応認められる。

(ハ) 債権者(1)村瀬及び(15)富田が交付を受けた賃金明細表と認められる甲第三号証の一ないし三には「農林弘済会印刷事業部」なる記載が存するが、<証拠>によれば、債務者に雇傭される者が交付を受けた給料明細表の様式は甲第三号証の一ないし三と全く異なることが一応認められる。

(ニ) また、<証拠>によると、債務者が昭和四〇年一一月一日その事業の宣伝のため発行した債務者の経歴書には債務者の印刷事業関係職員及び従業員中、技術職員の人員として右債権者らを算入した数の九〇名と記載されていることが一応認められが、結局、右は宣伝文書の域を出るものではない。

したがつて、(イ)の債務者職員名簿上の記載、(ロ)の債務者名義の身分証明書の発行、(ハ)の賃金明細表上の記載及び(ニ)の債務者経歴書上の記載の事実だけでは、前記認定を覆して武智らが右債権者らの雇入につき債務者のためにする代理意思を有したものと認めることができない。

してみると、右雇入につき、武智らが債務者から包括的代理権の授与を受けていたか否か、また債務者から右債権者らに対し代理権授与の表示がなされたか否かを判断するまでもなく、債務者に契約当事者として雇入の効力が及ぶべき筋合はないといわなければならない。

(2) また債権者(4)山崎、(6)山崎、(13)小林、(18)伊藤及び(23)井上(以下、乙群の債権者ともいう。)が弘済印刷株式会社の設立以後に雇入れられたものであることは前記認定の事実から明らかであつて、その雇入については、甲群の債権者の場合と事情を異にする以上、武智らが右債権者らに対してなしたと同様の表示行為をなしたことを窺わせる前出疎明資料は、すべて採用し難いし、ほかには右事実を肯認すべき疎明はない。したがつて、右雇入については、武智らの代理を前提として、債務者に契約当事者としての責任が生じるいわれはない。

3  次に、債務者の名板貸の責任(商法二三条)の成否につき判断する。

(1) 債務者が武智ら四名に対し、その共同事業たる謄写印刷の営業のため財団法人農林弘済会(債務者の名称)の肩書を付した名刺の使用を許諾していたことは債務者の認めて争わないところであり、<証拠>によれば、債務者発行の職員名簿には嘱託として武智ら四名の氏名が記載されていることが一応認められ、これらの事実に、前記認定のように武智らが昭和四〇年七月頃債務者とその専属の下請業者たるべき契約を結んだことを併せ考察すれば、債務者はその頃武智ら四名に債務者の名称を使用して謄写印刷業を営むことを許諾したものと認められる。

そして、武智らが甲群の債権者を雇入れるに当り、あたかも債務者において雇入れるものであるかのような表示行為をしたこと、のみならず、債務者が当時、右債権者らの一部に債務者の従業員であることを証明する旨の身分証明書を発行したことは前記認定のとおりであり、<証拠>によれば、右債権者らの一部は昭和四〇年九月一六日農林弘済会労働組合を結成したが、当時の組合規約によれば、右組合は債務者に勤務する従業員をもつて組織する旨定められていたことが一応認められるので、これらの事実と<証拠>とを綜合すれば、右債権者らは謄写印刷の労務を提供すべき営業主を債務者であると誤認して、武智らに雇入れられたものと認められる。

ところで、労働力の取引についてもまた禁反言の法理のもとに取引安全の保護を目的とする商法二三条の適用を受けてしかるべきであるから、同条にいう取引には、営業に必要な労働者の雇入行為をも包含すると解するのが相当である。

そうすると、債務者は、甲群の債権者との雇傭契約によつて武智らが負担すべき賃金等の債務につき同人らと連帯して弁済の責に任ずべきものである。

これに反し、乙群の債権者については、債務者を営業主と誤認して武智らに雇入れられたものであることを認むべき疎明がなく、したがつて、債務者が右雇傭から生じる債務につき責任を負うべき余地はない。

(2) それでは、債務者は甲群の債権者の主張する別表債権目録記載の賃金について、支払の責任があるか。

しかし、商法二三条の法意に鑑みると、自己の商号等を使用して営業をなすことを他人に許諾したいわゆる名板貸与者は、表現的営業主である、いわゆる名板借用者と、その外観を信頼して取引する第三者に対しては、もはや真実を主張し得ず、かえつて、その信頼に対応する一定の義務を負わなければならないという一種の禁反言の法理により、信頼を保護しようとするのが名板貸与者の責任の根拠であるから、継続的契約関係である雇傭の場合においては、当初名板貸与者を営業主すなわち使用者と誤認して名板借用者との間に契約を結び、かつ労務を提供するに至つた労働者といえども、営業主すなわち使用者につき悪意となつた以後に給付または提供した労務に対応する賃金についてまで、同条の保護を受け得るものではないと解するのが相当である。

これを本件についてみると、当事者審訊の全趣旨によると甲群の債権者はおそくとも昭和四〇年一一月二〇日には農林弘済会労働組合に加入していたことが一応認められるところ、<証拠>によると、右組合は昭和四〇年一一月二一臨時大会を開催したが、その執行部は右大会において運動方針として「農林弘済会直結即ち債権者らが中間に業者のいる現在の状況をうちやぶつて農林弘済会の職員となること」を提案したことが、また<証拠>によると、右組合は同月二九日真実の営業主たる武智、島田、芝崎の三名に対し書面をもつてボーナス二・五ケ月分等を要求したことが、それぞれ一応認められ、これらの事実から推せば、右債権者らは右組合大会の時点では債務者が営業主でないこと、換言すれば債権者らの使用者は債務者でなく武智ら四名であることを既に認識していたものと認められる。組合がそれ以後において債務者と賃金問題等につき交渉をとげた旨の<証拠>は採用しない。従つて右債権者らは、それ以後に提供した労務に対する賃金については、名板貸与者たる債務者に連帯責任を問い得ないものというべきである。

そして、右債権者らの被保全権利として(イ)昭和四〇年度年末一時金の未払分、(ロ)昭和四一年三、四月分の未払賃金及び(ハ)同年五月分以降の賃金の各債権の存在を主張するが、<証拠>によると、右(イ)の年末一時金は営業主について悪意となつた以後である昭和四〇年一二月になつて前記組合が武智らと交渉の結果、その金額を妥結したものであることが一応認められ(ロ)及び(ハ)の各賃金ははずれも営業主について悪意となつた以後に提供し、または提供しようとする労務に対応するものに外ならないから、債務者は、これらにつき名板貸与者として支払の責に任ずべき限りではないといわなければならない。

(三)  してみれば、本件仮処分申請は、被保全権利の存在につき疎明がなく、また保証を立てさせて処分を命じるのも相当でないから、これを却下、申請費用は債権者らに負担させることとし、主文のとおり決定する。(駒田駿太郎 沖野威 高山晨)

別表権目録<省略>

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